旅する情報系大学院生

旅と留学とプログラミング

ウクライナが好き

9/28から10/2までウクライナに旅行に行っていて、結論から言うと感情の塊になったので感情を整理するためにブログを書きます。

背景

現在同じ机に座っているウクライナ人Oちゃんと、5月までオフィスにいたウクライナ人V君の影響でCERNに来てからロシアンラップを聞くようになったりロシア語教えてもらったりしていた。二人は政治的に対照的で、同時に両方の耳から真逆の視点の話を聞くうちに当然ウクライナに興味を持ち自分の目で確かめたくなった。

V君がキエフに帰ってしまったので遊びに行くよ!と約束しつつ夏の間は忙しくて9月末まで行けなかった。イタリア人のLちゃんを7月ごろに旅行に誘い、Lちゃんのウクライナ人の友達DちゃんとDちゃんの友達Lsちゃんとその彼氏、Oちゃんの友達Aちゃんとその彼氏も巻き込んだかなり濃密な旅行になった。

9/28 キエフで講演

Dちゃんが主催している科学イベントでLちゃんと共にCERNについて話してくれないかと言われ、快諾した。イベントは金曜の夜だったので仕事を休み昼過ぎにキエフに到着した。空港から市内までは電車がないのでバスで移動した。Lsちゃんの家に泊めてもらえることになっており、40分くらい迷いつつ家に到着した。

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会場は本屋兼カフェ兼イベントもできるよみたいな場所で、とても良かった。誰が聴衆なのか知らなかったが行ってみたら科学者が多く、V君も来てくれてプレッシャーを感じつつなんとか話を終えた。パブに移動し、質問をされたり行くべき観光場所を教えてもらったりした。こういうイベントに来る人だからだろうが、向上心と好奇心が強くコミュニケーション力も高い人が多くて感心した。外国人が来て科学について話すようなイベントはあまり無いらしく、とても喜んでもらえて嬉しかった。

9/29 キエフ観光とバレエ

V君とLちゃんと三人でキエフ観光をしていた。

私はアラベスクという漫画を小さい時から愛読していた。主人公はキエフ出身のバレリーナで、あらすじは(当時の)レニングラードバレエ団に入団しプリマになっていくシンデレラストーリーだった。この漫画をきっかけにバレエが好きになり、特に(レニングラード)マリンスキーバレエ団、ボリジョイ、キエフは私の中でホワイトバレエのメッカになりずっとずっと憧れていた。この日程を選んだ理由の一つが土曜日にくるみ割り人形の講演があったからだった。Sugar plum fairy danceが死ぬほど好きで、死ぬほど生で見たかった。

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バレエは最高だった。ロシアの踊りと花のワルツはとても印象に残った。パドトゥは本当に最高で、女性のバリエーション(sugar plum fairy dance)は期待値が高かったので生で見れて感動したし男性のバリエーションはあまり期待していなかったがジャンプが高く、鳥肌がたった。無理やり連れて来てしまったあまりバレエに興味ない二人も感動していたのでとても良かった。

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徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰としてニコライ1世が赤く塗りつぶしたキエフ大学の赤い門。

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ウクライナ人はデモが好きらしい。2004年2014年のデモはとても有名だ。独立広場には2014年に亡くなった人の写真や政治的プロパガンダ、花や国旗が飾られていて心が痛む雰囲気だった。

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歴史博物館にあった写真で2014年の革命でレーニン像が破壊されている様子。

キエフの人々にとって2014年のデモは記憶に新しく、それに続くロシアのクリミア編入とドンバスの分離主義武装勢力との対立は現在も最大の関心事のようだった。東西に1500kmにも及ぶウクライナは西、真ん中、東で政治的に意見が異なり、歴史的にポーランドやハプスブルク家の支配下にあり混血も進んだLvivなどの西側地域では親ヨーロッパで独立意識が強く、スターリンによって強制移住させられたロシア人が多い東側の地域では親ロシアな人が多く互いに対立している。日本人にとって戦争とは70年前に終わった出来事だが、ウクライナ人にとっては友人や家族が殺されている現在進行形の悲劇であり、ウクライナ人のロシアに対する憎しみや怒り、またはロシア系ウクライナ人のウクライナ政府に対する憎しみが痛いほど伝わって来て心が揺さ振られた。来年の三月に大統領選挙が行われるが、大衆迎合的なティモシェンコ(美しすぎる首相と日本でも話題になった)と対立する現職のポロシェンコがeducatedな人々にとっては推しのようだった。ウクライナの平和を願うばかりである。

9/30 チェルノブイリ

V君とLちゃんと1986年に原発事故があったチェルノブイリに行った。ウクライナを含めて30ヶ国を旅して来たが、チェルノブイリは本当に特別な場所だった。これは行ったらちょっと人生が変わるかもしれない。

ウクライナ人は寿司が好きらしい。朝8時にツアーのバスが出発するのでLちゃんと5時半起きして頑張って中央駅まで行き、ウクライナの寿司はヤバイと聞いていたのでチェーンの日本食レストランに入った。日本食は人気らしく、街を歩いていると1分に一度のペースで見かけることができる。ジュネーブにも欲しいね!と二人で感激していたが、サラダの中に芋虫を見つけて無言になった。

事故が起こったチェルノブイリ原子力発電所第4号炉の周りは10km, 30kmのexclusion zoneになっており、バスで通り抜ける際は事前登録した情報と照らし合わせるためのパスポートコントロールがあった。exclusion zone内には複数の街(今は廃墟)+原子力発電所+ソ連のミサイル発見レーダー(OTHレーダー)があり、それらをガイドさんが丁寧に説明してくれた。

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1986年発行のソ連の新聞がそのまま放置されている。

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廃墟の一つにあったチェブラーシュカのぬいぐるみ

ベラルーシとの国境に位置し、今では10kmゾーンに入っているプリピャチという街はチェルノブイリ原発で働く労働者のために設計された計画都市で、"The best city of Soviet Union"と言っていたらしい。バスの中で見た事故前のプリピャチの街は美しく、川も文化センターも運動場もある完璧なソビエトの街だった。

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ガイドが持っている写真が同じ位置のビフォーアフター。完璧なソビエトの街は森になってしまった。

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Red forestという事故発生時に風下に位置し、放射線で葉が赤く枯れてしまったことでそう名付けられた森。汚染された木は地下に埋められ新たな木が植林されたが、汚染物質は地下に埋められただけなので放射線濃度は依然として高く、誰もここから先は立ち入ることができない。

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チェルノブイリの食堂でいただいたソビエト人民食。労働者は同じメニューだが2倍の量を食べるらしい。CERNの不味いレストランに慣れているLちゃんと私はこっちの方が健康的で良いと思った。

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(元)保育園での写真。ハーモニーという映画の一シーンを彷彿させる。

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OTHレーダー。写真だとサイズ感がよく分からないが高さ150mあり、かなり壮観であった。当時はソビエトの秘密軍事基地で、労働者は年に数日しかここを離れることが許されなかった。これは受信機で、送信機はソビエト内に三箇所存在したらしい。

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活躍した除染員や消防士を讃える石碑。生き延びた消防士達の手によって掘られたらしい。今でも4/26にはサイレンを鳴らしながら原発を周り、犠牲者を追悼するらしい。

とても語りきれない。

三人で最高のウクライナ料理の晩御飯を食べ、V君に別れを告げLちゃんと共に西方最大の都市、Lvivに夜行電車で向かった。

10/1, 2 Lviv

Lvivはチョコレートやコーヒーが有名で、お気に入りの店を見つけ二日連続で行ったりした。Oちゃんの親友Aちゃんを紹介してもらい彼女の彼氏とともにフリーメイソンのバーやUkrainian Nationalist Style Restaurant (笑)に行ってどれも最高だったがチェルノブイリのことを書いた後だと書く気がしない。

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フリーマーケットでUSSRの軍人のバッジを手に入れた。私はこういうのが好きである。

最後に

ウクライナは私のお気に入りの国、キエフは私のお気に入りの街になった。

主食はじゃがいものようである。全体的に食べ物のクオリティは高く値段は安く、24時間営業のスーパーも沢山ありスイスに慣れている我々は泣き出さんばかりであった。Lvivで食べたブラウニーとココアは人生の中でダントツの味だった。

ウクライナ人は優しくて美しい。アメリカ人のような超絶フレンドリーな接客はしないが、困っていたら助けてくれるし気が効くし観光客にとても親切だし、裏表のない素直な性格をしている。

キエフに住んでみたい。ロシア語を勉強したい。キエフ以外にも色々な東欧の街に住んでみたい。ウクライナ人が何を考えているのか理解したい。V君やOちゃんの気持ちを理解したい。ジュネーブに帰りたくない。日本に帰りたくない。

私は完全にファンになってしまった。