旅する情報系大学院生

旅と留学とプログラミング

旅をする理由

私は旅が好きで、今までで33カ国を旅しました。今回は行った国々の感想ではなく*1、なぜ旅をするかというモチベーションの話をしたいと思います。

私には常に、好きなものを一つに決められないという悩みがあります。若い頃は気が狂ったようにしていた読書、ロシア語やスペイン語等の語学、アニメや漫画等のサブカル的な嗜好、暇さえあればいくらでも調べてしまう海外旅行、高校の時好きになった生物、世界の歴史と社会学、そしてもちろん本業の情報科学と幅広く興味がありますが、どれも何か一つを選べと言われた時に他に比べて圧倒的に好きな訳ではないのです。結局情報科学を専攻として選んだのは、他の好きなことよりも圧倒的に好きだったからではなく、将来性があり世界の発展に寄与しそうな分野だと思ったからです。

努力するのも好きです。何か目標を決め、それに向かって努力して達成することが好きです。自分がかけた時間と労力と、その目標を達成したときの達成感は比例するものだと信じています。

そんな自分の根源的な欲求は、山があったら高いところまで登りたい、今までと違う景色を見たいという欲求なのだと近頃気が付きました。要は未知のものに対する漠然とした憧れだと思います。節操のない興味は違う景色を見たいという欲求の発露で、目標に向かって努力するのは山の高いところに登りたいという欲求の発露です。そこから見える景色が知りたいのです。

旅は、お金と時間さえあれば手軽にその欲求を満たしてくれます。秘境に実際に行くことで見たことのない景色を見れ、物理的に山登りをすることで数日間で大きな達成感を得ることができます。

2016年にボリビアに行った際、6088mのワイナ・ポトシという山に4500m地点から登りました。スペイン語を話すガイドを雇い二泊三日の行程でした。最終日は真夜中の12時に起床して登山を始め、ワイナ・ポトシの山頂に到着したのが朝の7時でした。雪山を7時間登るのは本当に辛くて、まず酸素が薄くて頭がぼーっとするし氷点下30度くらいなので四肢の感覚が無いしで、最初の30分以降はずっと「私は一体なぜお金を払ってわざわざこんなに辛いことをやってるんだ・・」という疑問で頭がいっぱいでした。歩いている時は辛すぎて自分の足元とガイドが引っ張るロープしか見えなくて、4時位に日が昇っても周りを見渡す余裕なんてありませんでした。他に登山している旅行者も沢山いましたが、途中で引き返している人も多く、ガイドによると1/10の人しか山頂に到着しないようです。しかし、死にそうになりながらやっと山頂に到着にした時は感動して涙が出ました。景色は息を飲むほど美しいですが、それ以上に死にそうになりながら足を動かしたことが報われたのが嬉しかったです。

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6088mのワイナ・ポトシからの景色。

反面、どんなに美しい風景でも頑張って到達した場所でないとそこまでの感動を呼び起こしませんでした。去年スイスで人生二回目のユングフラウに行きました*2。ユングフラウは世界で初めて標高が高い山の上まで鉄道を通した場所で、3751mの展望台まで鉄道に乗るだけで到達することが出来ます。麓のグリンデルワルトという街では雨が降っていたため天候を心配しましたが幸運にして晴れ、眺め自体は素晴らしいと思いました。しかしながら、鉄道で登ってしまい何も辛いことがなかったためワイナ・ポトシに比べると全然感動はしませんでした。

自分がかけた時間と労力と、その目標を達成したときの達成感は比例するものだと信じているという話を前述しましたが、物理的な山登りでもそれが当てはまるなと思いました。

山に登らない旅行でも、今まで知らなかった世界を知ることが出来ます。この記事でも書きましたが、あまり期待せずにウクライナに旅行に行き、予想以上に変わっていて奥深い体験をしたことでスラヴ的な文化に病みつきになってしまいました。それ以来ロシア語の勉強をしたり、東欧の政治や地理に異常に詳しくなってしまうなど全く予期していなかった世界が開けました。今ではロシアに何ヶ月か住むことを本気で考えています。

私にとって旅行は、手軽に未知のものに対する憧れを癒やしてくれる活動です。去年辺りからユーラシア大陸の真ん中あたりに対する興味が強いので、機会を見つけて放浪したいです。

コメントなどは大歓迎です。いつも参考にさせてもらっています。

*1:その話もいつかしたいです

*2:一回目は9歳の頃で高山病になり記憶がない