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25歳まとめと26歳の抱負

25歳は目に見える成果が沢山出て、パンデミックが終わったこともありアメリカ生活に完全に慣れてきたと思える一年だった。次の一年も順調に成果を出していきたい。

25歳まとめ

2020年にMITに入学して以降、メインのプロジェクトとしてずっとExoという言語の研究開発をしていたが、それに関する最初の論文がPLDIというプログラミング言語分野でのトップ会議に採択され、6月にサンディエゴで口頭発表を行った。指導教員達は他の研究者と比べて論文の美しさやプレゼンに力を入れる人達で、彼らの高い期待を満たすのが本当に大変だった。発表準備をしている時は「学会で一番良いプレゼンを目指せ」と陰に陽に言われプレッシャーが凄かったが、結果的に私も彼らの完璧主義を受け継ぎ、プレゼンの技術的な部分もストーリーの構成能力も成長することが出来たと思う。

研究成果だけではなく、研究の産業応用の歯車も上手く回りはじめている。夏はシリコンバレーのテック企業で上述のExo言語を彼らのハードウェアに応用するインターンをした。指導教員達にプレゼン力を鍛えられた甲斐もあり、インターンの最終プレゼンで選ばれSenior Vice Presidentに成果を発表することも出来た。継続的にコラボレーションを続けており、来年の夏も同じチームでインターンをする予定である。また、別のテック企業もExoに興味を持ってくれており、11月初旬からパートタイムインターンで彼らのハードウェアに応用する研究開発をしている。論文として研究成果が出ただけではなく、産業界からも研究に興味を持って貰えて嬉しく思っている。PhDを通して実際に使われるプログラミング言語を作ることを入学前からずっと目標にしていたため、着実にその目標が実現されているのを感じている。

学業面でも成果が出た一年だった。2022年5月にMITでMaster of Scienceという修士号を取得した。引き続き同じ研究室でPhDをしているため、私はこの修士号はPhDの途中経過であると捉えているが、アメリカで最初の学位を取れたことは自信に繋がった。アメリカの博士課程ではQualification examという、最初の数年間で成果が出なかった学生をふるい落とす、博士号の中間チェックポイントのような試験がある。学生の呼び方も、Qualification examを通るとPhD studentからPhD candidateにランクアップされる仕組みである。私も10月に全てのQualification examを終え、PhD candidateになることが出来た。また、PhD thesis proposalという博論の準備も(インターンの労働許可を得るためではあるが)博士課程3年目という早さで終えることが出来た。今学期は卒業に必要なrequirementsを沢山終わらせることが出来てホッとしている。

研究や大学院関係以外のプロジェクトだと、スタートアップ関連も概ね上手く行っている。卒業までにスタートアップ界隈でネットワークを広げ知識と経験をつけるのが目標にしていたが、今年は二つのベンチャーキャピタルのstudent fellowをボランティアでしていたり、MBAの授業を取ったことでそこで出会ったクラスメイトと面白いプロジェクトを進めたりしている。アメリカのスタートアップ界隈がどのようなロジックで動いているかについての理解度は格段に上がったし、また技術だけではなくビジネスサイドの必要性を強く感じたり、ビジネスが専門の人に対するリスペクトも増した気がする。

26歳の抱負

これから半年強は既に決まっている締め切りや予定をこなすことに忙しいと予想される。春にTAをやり、秋にminor授業を一つ取る事で博論以外の全てのPhD requirementが満たされる。また、春にメインプロジェクトとサイドプロジェクトの論文の締め切りがあるためどちらもしっかりと通していきたい。研究の産業応用もインターンを通して引き続き力を入れる。チームメイトのやる気が凄いスタートアップ関係のプロジェクトも来年中に目に見える成果を出したいと考えている。

今の研究や研究室には慣れてきたと感じるが、それと同時に研究テーマがコンフォートゾーンになってしまっているとも感じるので、忙しさの波が過ぎ去った後は研究の視野を広げるために新しいコラボレーターを見つけられたらなと考えている。グラフィックデザインや歴史もずっと勉強したいと思っていたが出来ていないので、テクノロジー系以外の知識も増やしたい。