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なぜ炎上がどうでもいいか

私はツイッターでフォロワーが28.7Kおり*1、まれによく物議を醸す政治的なツイートをするので、半年に一回くらいのペースで炎上している。日本人の友人に会うとたまに「炎上してるけど大丈夫...?」と心配されるが、もう慣れているので何も感じないというと驚かれる。この記事ではなぜ私が炎上に対して何も感じないかについて考察することで、読者の炎上に対する心理的ハードルを下げ、日本語ツイッター界隈全体で議論を巻き起こす政治的なツイートがもっと増えるといいなと願うものである。

分析

2019年から100リツイートを超えたツイートが32個あり、下記のリンクから全て見ることが出来る。ツイートの内容とリプライを見れば私がどのようなことを言ってどのように炎上してきたかが分かると思う。
twitter.com

炎上・批判の内容は大きく分けて、1. 彼女の意見に賛同しない, 2. 彼女は恵まれている, 3. tone policing*2の三つであると思う。

1の「彼女の意見に賛同しない」という批判は生産的だし、私の主張をきっかけに大学の教授会で議論が起こったりとポジティブな影響を与えられているようなのでとても嬉しく思っている。

2の「彼女は恵まれている」というお気持ちの表明や3のtone policingも多い。勿論正当な批判も中にはある。ただ一方で単なる嫉妬心からくる「彼女は恵まれている」とお気持ちを表明する人の脳内を考察すると、現代では人間が何かを達成した時の業績はその人がどこからスタートしたかの差分で評価されるため、「彼女はもともと恵まれているから何を達成したとしても彼女の努力ではない」と言いたいのかなと想像できる。また、一般的に「これだけの差分を私は努力で埋めることができました、なので今そのスタート地点にいる人達も頑張れば出来ます」という言説は希望を与えることもある一方、「達成出来ていない人は努力不足」という呪いを与えることにもなる。誰だって努力不足とは思われたくないし、何より自分でそれを認めたくはないため、自己防衛の為に目立っていたり何かを達成した人の育ち方を攻撃するというのは私に限らずインターネットで広く観測できる事象である。正当な批判というのは、自分のスタート地点を実際よりも下げて伝え、自分の努力や成果を実際よりも大きく見せる事に対してであり、それはそのスタート地点にいる人たちに対して虚偽の希望を抱かせるため、私も気をつけたい。

単なる嫉妬心で叩く人の気持ちも理解できるし、私をサンドバックにして良い気分になるのならそうしてくれて構わないと思っている。ただ一般に人の成育環境を叩いたり自分と比べたりすることは、「〇〇は恵まれていたから成功しただけ、自分は恵まれていなかったから成功しなくても当然」と自分の現状を合理化する事になるため全く生産的ではないと思う。私は顔も名前も知らない人間にどう思われても全く気にならないし、下に述べるもっと大事な目的を達成することの方が自分の成果を主張・納得させるよりずっと大事だと思っている。

炎上を恐れるより自分の意見を表明することが大切

発信を続けるのはこれがおそらく一番大きな理由。自分が自分である事が私にとって一番大事なので、強く信じる信念がある場合、どれだけ人に嫌われたとしても信念を貫くべきだと思っている。これに関しては、自分が言いたいことを言えないのなら生きている意味が無いくらいに強く思っている。既存の社会の価値観を変えるにはまず注目を集める人が必要で、その人が炎上して大勢から嫌われることが必要だと思っている。誰にも嫌われないが誰にも顧みられない人間より、多くの人に嫌われても社会に影響を与えられる人間になりたいと思っている。

例えば、グレタ・トゥーンベリさんは環境問題に関する普通の人には極端に感じられる主張で嫌いな人も多いとは思うが、彼女が先陣を切って世界中の注目と悪意を集めたことで、環境問題に対してのポジティブ・ネガティブ両方の関心が増えたことは事実であろう。社会問題に対して無関心である事に比べれば、ネガティブであったとしても意見も持っていた方が絶対に良い。多くの市民が意見を持っていれば議論が盛り上がりその社会が何かしらの結論に達することが可能だが、無関心では本当に何も進まない。もちろん急進的な主張というのはどんなに主張する人間が正しいと信じていたとしても一朝一夕で実現するものではない。しかし、社会の変革は1000の問題解決を主張してやっと翌々年に0.5が実現されるような非常に遅いプロセスであるため、誰かが1000を主張することはそれがどんなに急進的だと思われようと必要だと私は考えている。

女性に投票権があることは今では当たり前だが、100年前は非常に急進的な主張だった。男は外で働き女は家事をするというジェンダーロールが「正しい」とされた社会で、女性の参政権を主張することがどれだけ勇気のあることか想像すると身震いがする。人生をかけて既存のシステムと戦い信念を貫いた先人たちがいるお陰で今を生きる我々は何の疑問もなく投票権を享受することが出来ている。法律もシステムも価値観も人間の想像力の中にしかない、社会をより生産的に動かすための創造の産物である。人間の想像力は進化することができるし、より社会の価値観を多くの人にとって良くした状態で次の世代につなげるのが今を生きる我々の義務であると思う。

私は日本の女子高校生や女子大学生を男女差別的な環境から救いたいと強く願っている。私がロールモデルになりたいというのは非常におこがましいが、少なくとも日本の女子学生を勇気づける使命があると思っている。学生から「勇気をもらいました!」という内容のDMやリプライをもらう度に発信を続けていて良かったなという気持ちが強くなる。

私のことを叩いている人たちは私のキャリアに影響を与えられる地位にいない

炎上はパブリックイメージの低下と表裏一体なため、キャリアに影響を与えるから炎上が怖いという人がほとんどだろう。私が尊敬していて目標としているのは炎上する私のツイートを見て「元気な若者がいるなあ」と微笑ましくもちょっと心配に思ってくれるくらいに成功した人間であり、私のことを鬱陶しく思うような人は私のキャリアを変えられる位置にいない。

これに関しては私が米国在住であることも影響しているとは思う。普段は英語のみで仕事や研究をしており、主にツイートするのは日本語で日本のシステムを批判することが多いため、そもそも私のキャリアに影響を与えられる人達が私のツイートを目にすることは少ない。それでも友人やラボメイトや同僚が翻訳して読んでくれることはあるが、私のリベラルな価値観や「日本の女性差別をなくそう」という思想にアメリカのリベラルエリート達が共感しない訳がないので、読まれる度に非常に褒められることこそあれネガティブな影響は何も無い。しみじみ、自分の思想と近い環境でキャリアを築く選択をして本当に良かったと強く思う。もし仮に日本に残っていたら、将来の就職先や共同研究者に嫌われることを恐れてここまで強くは自分の意見を表明出来なかったかもしれない。アメリカの大学やテック企業はリベラルな価値観が浸透しているため私にとっては本当に居心地が良い。

まとめ

普通に生きていたら他人からむき出しの悪意や敵意を向けられる経験はそうそう無い。炎上したことでネガティブな事は今まで一度も無く、むしろ他人の悪意に晒されてそれを処理するという経験をさせて貰えて感謝している。私にとっては炎上は正味プラスな経験だと思う。

*1:2022/11/24現在

*2:社会的課題について声を上げた相手に対し、主張内容ではなく、相手の話し方、態度、付随する感情を批判することで、論点をずらすこと